2006年03月01日

(by paco)「僕たちの将来は明るいですか?」

Global Eyes

(by paco)東京のFM局 J-waveで放送中の番組「Growing Reed」で、V6の岡田淳一と宮台真司の対談がありました。年始の2006年1月9日放送です。

宮台真司は首都大学東京の准教授で、サブカルチャーや女子高生の研究で知られる社会学者で、ぼくはいま日本でもっとも頭の切れる人物のひとりして、以前から注目してきた人です。

で、この対談で宮台が語っていることは、知恵市場のコンセプトにも大きく関係があり、直接的にはToshiさんの「協創」の概念を考えるときのヒントになりそうなので、趣旨をアップします。もちろん、ここから何をくみ取るかが、とても重要。

番組の録音はwma形式のファイルがあるので、オリジナルの番組を効いてみたいという方は、「お貸し」しますので、paco@suizockanbunko.comまでメールください。

?「Growing Reed」岡田准一 feat.宮台真司?
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●成熟社会ってなんですか

日本では戦後から1970年ごろまでが成熟前(成長期)社会で、この時代はみなが同じものを欲しがり、同じもの(尺度)を持っていた時代。しかし70年代以後、みなが欲しがるようなモノはみな手に入れてしまい、あとは買い換えしかなくなってしまった。

日本は間違いなく世界でもっとも裕福な国だ。福袋が売れるのは日本だけ。欧州でも米国でも、ものを買うときはもっとずっと考え、選んで買うのが当たりまえ。しかしそれで幸せに慣れたかというと、そうではない。「幸せですか」という調査に、yesと答えるのは先進国中、日本が最低。日本よりはるかに貧しい国の方がずっとに「幸せ」と答える率が高い。金銭的な成熟と幸せとは直接関係がない

●ノスタルジーブームはどう考えればいいのか

昭和30年代はみんなが同じ夢を持っていた、同じ船に乗っていた時代。荒くれ者もまじめな人間も、東京タワーができあがってくるのを一緒に「いいことだ」と楽しめた時代。一緒に何かをまつれることが幸せだという感覚があった時代。こういう事実に対する憧れがノスタルジーブームの本質にある。

●幸せになれない日本人たち

物質的、金銭的豊かさは、たくさんの利便性をもたらした。しかし便利と幸せとは関係がない。人間は、面倒なことがないと達成感を得られない。達成感は濃密な体験によってもたらされるものだ。

濃密な体験がへり、便利になった反面、人との付き合いが少なくなり、みんな臆病になっている。他人と何かを共有する経験が少ないために、臆病になり、孤独になっている。「人間を臆病に育てる社会」を変えなければならない。

そこで、今日の話のポイントを3つがこれ。

(1)墓穴を掘る弱者たち
(2)若者にネガティブなイメージを抱く大人たち
(3)戦略的思考に書く日本人

●(1)墓穴を掘る弱者たち

2005年の総選挙で自民党がなぜ勝ったのか。その背景にあるのが、あらたに無党派層が選挙にいって、与党に入れたことだ。政治に参加することはいいこと。しかし参加しさえすればいいか? よく考えて投票しているのかどうかが問題だ。

小泉政権は弱肉強食の政権。その一方で、今回投票に動いた都市浮動票は弱者だ。弱者は、弱いがゆえに、強者にあこがれる。閉塞感があるから、スカッとさせてくれる人を求める。ホリエモンも小泉首相もそういう点が人気がある。しかし勝った自民党は弱肉強食の制作を強め、結果的に、弱者は自分たちの首を絞めることになる。つまり自分で墓穴を掘っているわけだ。

こうして生まれた弱肉強食の社会は、希望に格差がある社会だ。このような中で、希望格差社会を批判するし、かつての社会に戻ろうという人たちが出てくる。かつては万人が同じ夢を見た、その時代を再現したいと考えるわけだ。30年代ブームもこれが背景にある。

しかし現実は、夢を見れるやつとみれないやつとにはっきりと分かれている。みなが同じ夢を見れる時代はもう日本には来ない。それなのに同じ夢はみれる釈迦にしようという言説「希望格差社会批判」が出てくると、弱者は一瞬夢を見ることができる。でも夢を見せられたたのに夢が持てなかったら、よけいに不幸が増殖する。これでは不幸が不幸を再生産する不安定な社会になってしまう。

ではどうすればよいか。これからの成熟社会では分をわきまえるようにすることが重要だ。自分はこういうポジションにいればいいのだと早い段階で気づかせてあげた方がいい。これが社会を安定させる。欧州がとっている考え方だ。いつまでも同じ夢を見れる社会だと思わせるのは、やばいんじゃないか。

弱肉強食の社会で不安に陥った人に対して、米国では宗教がその不安を吸収している(paco註:米国ではキリスト教原理主義を代表とする宗教的保守層が下層階級を中心に急増し、北東部を中心とする開放的、知的なリベラル派との間で、深刻な分断が起こりつつある。米国は分裂するとまでいう人がいるが、ブッシュ政権の動向を見ていると、あながち誇張とはいいきれない)。弱肉強食社会の米国には宗教がある。米国はキリスト教国家。「宗教はあなたにとって重要ですかの質問に、米国では7割がyes、欧州は3割しかyesと答えない。
では日本はどっちを取るのか? そのまま考えると、欧州の路線だと考えるのが当然の結論。でも日本人は米国流のやり方をとるとしている。

●(2)若者にネガティブなイメージを抱く大人たち

フリーターやニートが問題になっている。実はフリータもニートも社会問題になる理由は何もないのに、火のないところに煙が立っている。

ニートはやばいんだとメディアがたきつけるが、実はニートは昔からいる。漱石の時代もいたし、高等遊民という言葉や、ご隠居というような人もいた。それでも社会的には何も問題はおきない。誰かが故意に問題にしようとしている。

競争というなら、競争から「下りる自由」もあっていい。しかしゲームから降りた連中(職を転々とするような人々)がなぜか袋だたきにあっている。以前はフリーターが批判された。しかしフリータは企業社会にとって都合がいいということで、フリーター批判はやめましょうとなった。代わりに出てきたのがニート批判。実際のところ、働かない人が増えたというデータはない。

大人たちも敵を見つけたいのだ。わるものを見つけたい。「若い奴らはわけがわからない、こいつらが日本を悪くする」といって袋だたきにしているだけ。ニートではなくフリーター、フリーターじゃなくて正社員というのは、間違っている。

そもそも、「仕事で自己実現する」なんて、「変った発想」といえる。仕事で自己実現できるやつは昔からごく少数。そうでない人は、祭りで発散する、まったりする、仲間と盛り上がるなど、仕事以外で自分を表現してきた。それが人間の自然な姿。「仕事で自己実現」だけが幸せの手段じゃない。

ネオ・フォード主義という考え方がある。かつて、フォードが開発した大量生産の工場の労働者になるという時代があり、この時代は「食うための仕事をすればいい」というのが社会的合意だった。しかしその時代が終わって、みながいい仕事をしろ、そのためにはみながいい学校に入り、いい会社に入って、仕事で自己実現するべきだというように、メディアがあおるようになった。これがネオ・フォード主義だ。これによってみんな塾に行くようになり、勝ち目のないゲームに参加させられるようになったのが今の時代だ。

しかし、勝てないやつはいくらやっても勉強では勝てない。それなのに、塾に行き、勉強を強いられる。それではいくらがんばっても幸せになれない。そういう人にはくだらない勉強に時間を使ってないで、その代わりに、恋のスキル、祭りのスキルを磨いた方がいい人たちもたくさんいる。幸せになるスキルを学んだ方が、ずっと幸せになれる。仕事だけが人生じゃないと思っている人に、「仕事だけが人生だ」と押しつけるのは間違っている。

僕はアイドルのファンの研究をやって来た。アイドルファンの平均年齢は30?40代。はげたおじさんたちがたくさんいる。いい風景だと思う。地方公務員が多い。9時?5時で終わる。土日休めるから日本全国を回れる。給料も高くて安定している。アイドルファンは情報を楽しむ遊び。知性は高い。

アイドルファンになるために地方公務員になることも最高。公務員の仕事が自己実現などと思っていない。こういう生き方は最高です!

■(3)戦略的思考に書く日本人

一方で、日本という国レベルと見ると、頭をちゃんと使う人間が必要だ。保守論壇では、日本はアメリカについていくべきというのが当然の意見になっている。これまでのプラットフォームを前提にすれば、米国についていくのはもっともよいという結論もわからないではない。

しかしそれでいいのか。特に21世紀に入って、アメリカはやることなすこと国際的に不人気。アメリカについていくと、一緒に不人気になってしまうようになった。こういう時代の中で、アメリカに着いていくという以外の戦略を考えられる人間が、国をリードしなければならない。

ゲームをどうつくるかが戦略。与えられたゲームの中でどうやって勝つかが戦術。これまでの日本はアメリカの戦略で勝つための戦術を磨いてきた。

一方で米国は日本をどうやって動かしていくか、戦略(ゲームのルール)を考え、時間をかけて変えてきた。かつて日米構造協議というのがあり、今は米国から日本への「年次改革要望書」というのがある。これに従って、日本は多くのしくみを変えて来ている。貿易自由化、大店法の規制緩和、木材の輸入解禁、建築基準法の解禁(姉歯問題)、牛肉の自由化など、みなアメリカの「戦略」だ。

長年かけて、日本のプラットフォーム(ゲームのルール)を変えてきた。日本人が幸せになろうとすると、米国のためになるようなルールに。

たとえば、フルブライト留学制度というのがある。米国は留学生に優しい。各国のエリートの卵をアメリカに呼んで、アメリカのファンになってもらい、友達を作って帰ってもらう。帰国後、留学生は社会の中枢に入り、米国のエージェントとして振る舞うようになる。ディズニーランドも同様。米国的な幸せのイメージモデルを世界に広めている。これを米国はソフトパワー戦略と呼んでいる。自覚的日本はこういうものを無批判に受け入れてきた。

欧州はソフトパワー戦略に自覚的で、アメリカの戦略に対して対抗しようとしている。スローフードという運動があるが、あれは有機野菜を食べる運動ではない。

スローフード運動とは、ファミレス、コンビニ、ファーストフードに対抗して、きずなのある生活を守っていこうというものだ。地元の農家、地元の商店を使おうという運動であり、それが街を支えているということを欧州の人は知っている。それが「我々」という関係=共通の感覚(共同体感覚)を支えている。

便利さだけを追求すると、こういう共同体の生活が壊れてしまうことを欧州の人は皆知っている。インテリだからわかっているわけではない。多くの人がみなわかっている。アメリカの「うまい、早い、ディズニーランド」もいいけど、そればかりではやばいことになっちゃうよとわかっているのだ。そういう点では日本はもうかなりヤバイ。

ではなにをすればいいのか。米国流とは違うプラットフォームをつくるべきだ。僕はそれのひとつが「祭り」だと考えいる。

「祭り」は、理屈じゃない。理屈抜きに、「祭り」なら多くの人がつながれる。敵も味方も。共通体験を経験し、つながっていける。これが「自分たち」感覚をつくり、孤独感を薄れさせる。

「人とのつながり」というとコミュニケーションのうまいやつがつながりをつくれて、ヘタなやつは失敗して虐げられるというように考える人が多い。コミュニケーションの技術の格差で、つながりがつくれる人とつくれない人に差が出るという考え方だ。そういうつながりのつくり方でだめだ。祭りは、コミュニケーションがうまくてもヘタでも、自分なりに関われる。

現代的な祭りの一例としてコミケ(コミックマーケット)がある。コミケは、コミュニケーションがヘタでも、漫画を買うだけ、コスプレをするだけでも参加した感が味わえる。孤独じゃなくなる。

コミュニケーションが技術がないと関われないとダメだという状況を変えたい。祭りは、コミュニケーションの技術がなくても、人と関われる状況をつくることが、ひとつの解決策になるだろう。
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投稿者 paco 00:07 | コメント (0) | トラックバック (0)

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